情熱の薔薇
はじめて自分の小遣いで買ったCDはザ・ブルーハーツの”情熱の薔薇”だった。1990年、中学校1年生だった。
同じ頃聞いていたのはザ・ブルーハーツをはじめとして、ジュンスカイウォーカーズやザ・ブーム、ユニコーンなどのロックバンド。パンクロックをまだ認識する前のことだ。
このころ好きだったバンドの曲は今でもそらで歌える。皆さんも中学校時代に聞いてた曲は良く覚えているのではないだろうか。
おそらく、人生の中で1番多感でみずみずしい時代にこれらのバンドや楽曲達に出会えたのは本当に良かったと思う。
家出の記憶
小学校から中学校に上がると隣の小学校からの生徒も一緒になる。今までの小学校の友達とはまた違った新しい友達。キン肉マンで悪魔超人だったバッファローマンが仲間になった感じだ。
……どんな感じだよ。
新しい友達にS君がいた。小柄で色白、目鼻立ちがしっかりしたハーフっぽい外見。音楽に詳しくて、いつでも少しテンション高めなS君と僕は何故か気があった。家もわりと近くて、学校が終わったらよくお互いの家に行って、遊んだ記憶がある。
初めて家出したのも彼と一緒にだった。家出の理由は忘れてしまったが、恐らく互いに自分の家に対して不満があったのだろう。……たった一晩で帰ってきたのだが。
荒川の堤防で野宿した。夏場だったのにものすごく寒かったのと、堤防のコンクリートの上で寝たので体が痛くなったのを覚えている。
家に帰って親に怒られるかと思ったが、何も言われなかった。おそらく、S君の親とうちの親の間で、なんらかの話し合いがあったのだろう。
S君からもらったCD
感受性が豊かで、なんかいつも歌ってたS君。音楽が好きなのも、歌詞に共感する力が歳の割に強かったからだと、今になって思う。ジュンスカやザ・ブームもじつは彼の影響で聞き始めた。
ある時、彼がCDをくれた。まだシングルCDでもお金がなくて、自分ではなかなか手が出ない頃に『これあげるよ。聞いてみて。』ともらったCDがフリッパーズ・ギターの”恋とマシンガン”のシングルだった。
コンパクトにケースが折られていたCD(当時の8センチシングルCDは折り込んでコンパクトになるパッケージだった!)だったので、推察だがこのCDは彼が買ったはじめてのCDだったのかもしれない。
何故なら初めてシングルCD買ったらコンパクトにしがちだから。CDを何枚か買うようになり、他の人の家のCDラックの収納を見て、はじめてコンパクトにするのがダサいと気付くわけだ。ちなみに前出の”情熱の薔薇”のシングルCDも僕はうかつにもコンパクト化してしまっていた。
渋谷には行ったことがなかったけれど
何故彼がそんな初めて買ったようなCDをくれたのか分からなかったが、とにかく僕はフリッパーズ・ギターを気に入った。中学生から見てもそれはオシャレなサウンドだった。なんせ出だしから”ダバダバダバダバ”言ってるし。カップリングの”バスルームで髪を切る100の方法”も何回も聞いていた。ワウペダルを効かせたギターとか聞いたのも初めてだった。
普遍的で時代関係なく格好良いものを見出すセンスがある。もしかしたら、フリッパーズの2人だけがYouTubeを見れてたんじゃないだろうか。つまり未来の技術を飛び級で享受できていたんじゃないかと。そんな馬鹿な想像をしてしまうほどのアーティストだった。
とにかく、60年代・70年代のソウルミュージックやラウンジミュージックに色濃く影響を受けていたであろうフリッパーズのサウンドと詞の世界は、まさに”渋谷系”だった。当然僕はその頃、まだ渋谷に行ったことがなかったけれど。
当時はまだレンタルCDが無かった。おそらく住んでいる地域に登場したのは1992年あたりからだったのではないだろうか。レンタルビデオはあったのだが、併設でCDを借りられる所は無かった。だから中学生の僕にはフリッパーズの違う曲を手に入れるすべはなかった。
のちに僕が”渋谷系”を意識するのはオリジナルラブの”月の裏で会いましょう”だった。
学校から消えた
その後、S君は突然学校に来なくなった。不登校になったのだ。
理由はハッキリしないのだが、人一倍感受性が高かった彼は学校生活に釈然としたものを感じなかったのかもしれない。
彼のその先を僕は知らない。
年齢を重ねると、いろいろ忘れてしまうことが多い。でも思い出があると、何かのきっかけで思い返す。その時の感情とともに。